「あなたがたは、幼な子が布にくるまれて飼葉おけに寝かしてあるのを見るであろう」(ルカ2:12a)
「光陰矢の如し」と言われますが、今年も12月を迎えました。
教会では12月は色々な行事があります。そのほとんどはクリスマスに関する行事です。クリスマスは神の御子がこの世に真の人間となってお生まれになったことを祝う日です。別な言い方をするなら「神が小さくなられた日」ということもできます。永遠から永遠にいます神が、全世界、万物を創造された偉大な神が小さな幼な子となってこの世にお生まれになった日です。
神の御子がなぜ、幼な子とならなければならなかったのでしょうか。それは私たち人間の罪を取り除くために私たちの身代わりとなって神の裁きとしての十字架にかかって死ぬためでした。神は不死なるお方です。ですから死ぬために神の御子は人とならねばならなかったのです。神はその天の御位にあって私たちを救おうとされたのではなく、人となってこの世に生まれ、私たちと同じ体験をされたのです。生きる喜び、悩み、苦しみ等を体験され、手にまめが出来るほどに労働され、労働の苦しさ、つらさ、喜びを体験されたのです。
私たちと同じ目の高さにまで来てくださったのです。それゆえ、私たちの生きる喜びやつらさ、苦しみ、悩み悲しみを自ら体験された者として、私たちのことをすべて理解し、私たちを励まし、強め、慰めてくださるのです。私たちの目から涙を拭いてくださるのです。あなたや私と関わりを持つために人となられて来てくださったのです。
私たちがイエス・キリストを救い主と信じ、受け入れることによって私たちの全ての罪を赦し、救いの恵みに入れてくださるのです。生きるということは人に言うことのできない色々なことがあるものです。イエスはあなたの人に言えないことを全て理解し、慰め、励まし、共に歩んでくださるのです。イエス・キリストは十字架にかかって死なれ、三日目に死からよみがえらされたお方です。今も生ける神、救い主として父なる神の右の座にあって私たちの祈りを父なる神に取りなし、私たちに愛の御手を差し出しておられるのです。この主イエスの御手に触れ、イエス・キリストを知ってください。年末の忙しい中、静まって自分の生き方について考えてみませんか。イエス・キリストにあって本当のクリスマスを祝う者になりませんか。
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