「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」(ヨハネ10:10)。
ここに、人を羊とたとえてイエスの来られた目的が示されている。とこしえの命に至る水を豊かに与えるためにイエスは来てくださったのである。
私たちは自分の命の根拠、源をどこにおいているだろうか。いつまでも涸れることのないイエス、そこに泉を求めていくとき、イエスはその泉となってくださるのである。
京都はこの時期暑い日が続き、渇きを覚える日々を過ごしている。私たちの日々の生活の中で色々なことで悩んだり苦しんだりして魂のうちに渇きをおぼえることがあるのではないだろうか。そのような時の渇きを豊かに癒してくださるのはイエスの与えてくださる命の水である。
イエスはサマリヤの女にヤコブの井戸のかたわらで 「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、私が与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:13,14)と言われた。
あなたもイエスから豊かな命の泉から命の水をいただこうではありませんか。
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