「ゆるしの神」

投稿日時 2015-05-01 19:26:26 | カテゴリ: メッセージ

 ある牧師がその著書の中で太宰治についていろいろと述べている。太宰治はいかに聖書をよく読んでいたこと、しかしバプテスマのヨハネしか知らなかったと。バプテスマのヨハネはメシヤであるイエスが公に現れる前にメシヤの前に道を備えるために民衆の罪を責め、神の前に道を整え備えるためにバプテスマを施した人物です。その牧師は「太宰の作品を読むと、彼がいかに聖書をよく読んでいたかがわかる。作品のテーマも、聖書からのものが多い。彼は、表面ではでたらめな生活をしたが、内面では懸命に聖書に問うた。彼自身の言葉で言えば『祈りたい、一生でただ一度でいいから、祈りたいと思っていました。しかし、自分のような者が祈れるのかと思うと祈れませんでした』とあるように、どこまでも、神の前に自分を隠そうとはしなかったのである。しかし、彼の神は、ヨハネの神、怒りの神である。この神の前には自殺しか残される道はなかったのである。もしも、彼がここでもう一歩進み、許しの神に出会っていたら、彼の文学は違っていただろうと述べている。

 神は罪に対して怒り裁く神であるとともに、その罪を許す神である。神は愛するひとり子をすべての人々の罪の身代りとして罪なきイエスを十字架につけて神の裁きを受けさせ、死に渡され、イエスを救い主として信じる者の罪を豊かに許され、罪と裁きから救ってくださる神である。

 罪の生活から180度方向を変えてイエスの元に立ち返り、イエス・キリストにある救いを受けようではありませんか。神は許しをもってあなたを迎え入れてくださる。主イエスにある平安と救いの恵みに与かる者となりましょう。






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