新緑の季節を迎えました。
教会の前の桜は若葉をいっぱいに繁らせており、教会の庭にも色々な草が青々した葉を繁らせています。教会に来ていた京大の農学部に通っていた女学生は私に「雑草という名の植物は有りません」と言われたことがありました。それは道端や土手にはえている草を雑草と言って、いろいろな植物を一つにまとめて見るのではなく、それぞれの名のついた違った植物であることを言わんとして言ったものだと思います。
私たち人間も一人一人性格も性質も考え方も違う、一人の独立した人間として存在しているのです。たとえ一卵性双子として生まれてきて、顔も声も同じように見えても、考え方や性格もそれぞれ違う個性を持った存在なのです。人間はそれぞれ個性を持ったもの違う者として存在させられているのです。
人間は生きている以上、色々な悩みや苦しみによって不安な生活を送らねばならない時があります。そのような人を主イエスは「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と招いておられるのです。人それぞれの個人的な問題や悩みを理解して受け入れて下さり、それぞれに相応しい取扱をしてくださり、救いへと導き、平安と慰めと励ましを与えてくださるのです。
イエス・キリストの招きに応答してみませんか。
聖書に「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)と記されています。あなたもキリストにあって新しい者としていただこうではありませんか。
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