三月の弥生の月を迎えました。
三月といえば三日のひな祭りがありますね。普通雛飾りにおいて男雛は向かって左側に飾られますが、京都は右側に飾られます。御所において天皇は南向きに座られるので左側は東側、日の昇る側だからと言われています。
さてここでクイズを出します。三人官女の一人は既婚者です。どれがそうなのかわかりますか?(答えは末尾に)。
三月は卒業、転任等、別れの季節ですね。それぞれ色々な別れや新たな希望に満ちた出発がありますね。三月に入り、寒さも和らいで過ごしやすい季節になりますね。三月の雨は何となく暖かさを感じます。「傘一つ寄り添う二人春の雨」(まさみ)と私は句を作ったりして過ごしています。
今月の31日はイースター(復活祭)です。
この日はクリスマス以上にキリスト教会にとって大切な日なのです。皆さん方はイエス・キリストの十字架での死については知っておられると思いますが、三日目の日曜日の朝にイエス・キリストは死から復活され、ご自身を弟子たちや人々に現されたのです。このことを知ってほしいのです。主の弟子たちはイエスの十字架と復活の証人として福音を宣べ伝えたのです。
使徒パウロは次のように述べています。「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」(1コリント15:17-19)と。
キリストの死からの復活がなければ、私たちキリスト者の信仰も望みも何もかも無くなってしまうのです。
しかしパウロは続けて次のように述べています。
「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通してきたように、死者の復活もひとりの人を通してきたからです」(コリント15:20-21)と述べ、さらに、「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。わたしたちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、わたしたちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならなず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利に飲み込まれた。』としるされている、みことばが実現します。」(1コリント15:5−54)と記しています。
キリストの復活が事実であることを1コリント15章全体で語りキリストにある者たちの勝利を宣言しています。あなたも一緒に31日のイースター礼拝に参加して主イエスの復活を心から祝ってみませんか。おいでをお待ちしています。
(※クイズの答え、真ん中に座っている女官です。眉毛をそり、おはぐろです)。
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