どんな権力者でもどのような支配下にある者でも、富んでいる者も貧しい者にも、等しく死はおとずれるものである。
死は、人からその権力も富も名誉もすべて奪ってしまうのである。死は、すべての終わりでもある。だが、イエス・キリストは死からよみがえられたことによって、イエス・キリストにある者たちに死の先に希望が与えられたのである。
旧約聖書のヨブは「人が死ぬと、生き返るのでしょうか。」(ヨブ記14:14)と述べているが、イエスキリストの死からの復活によってイエス・キリストを信じる者には死からの復活の希望が与えられたのである。私は何人ものキリストにある友人たちの骨を火葬場で拾ってきたが、しかし主イエスが再臨される時、主にあって死せるものは皆、死からよみがえらされるのである。栄光の体にされ、再び主の御前で再会できるのである。何という喜びであろう。親しい者の死によって流した涙が主によって拭われ、主の御前で喜び抱き合うことができる。そのことを臨みつつ、今、この世の生活を主の前に忠実に過ごす者となろうではないか。
主イエスにある者にとっては、死はまったくその力を失ったのである。悲しみに喜びに、絶望が希望に変えられたのである。だから私たちは親しい者たちに真剣に福音を語り伝道し、救いのために祈っていかねばならないのである。
|