「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる」。 11章1節〜2節
エッサイとはダビデの父の名である。ダビデ王朝の王は、神に寄り頼まず、アッスリヤに援助を求めた王である。エッサイの根、それは切り株のようにまったく望みは切られている。神に敵するような動きをしている。けれどもエッサイが選ばれた。そこに神の選びがある。
神のあわれみが人間の罪や間違いに打ち勝つのである。神の愛のゆえに望みが与えられ、ダビデの末から主の霊がとどまるようなメシアが生まれてくるという預言がなされるのである。これは主イエスが生まれる七百年前である。そしてその預言されたとおりイエス・キリストはダビデの子孫の家系から生まれられたのである。(ヨセフもマリアもダビデの家系である)。主イエスの誕生はすべて主なる神のご計画と導きによって実現された。神によって選べれたダビデの子孫らは忠実な信仰者とは言えなかった。むしろ神に従わなかった者も多くいた。しかし、神の約束は変わらず、その愛とあわれみによって救い主はダビデの子と呼ばれている。
主イエスは単にイスラエルの民だけの救い主ではなく、すべての国々の人々の救い主として来られたのである。私を救うため、あなたを救うため来てくださったのである。この主イエス・キリストの誕生を心から祝うために、まずあなたがイエスを救い主と信じ受け入れることが何よりも必要なのである。そして本当の意味において救い主イエス・キリストの誕生を祝うことができるのである。心から主をほめたたえ、父なる神に感謝しよう。
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