投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2015-05-01 19:26:26 (705 ヒット)
メッセージ

 ある牧師がその著書の中で太宰治についていろいろと述べている。太宰治はいかに聖書をよく読んでいたこと、しかしバプテスマのヨハネしか知らなかったと。バプテスマのヨハネはメシヤであるイエスが公に現れる前にメシヤの前に道を備えるために民衆の罪を責め、神の前に道を整え備えるためにバプテスマを施した人物です。その牧師は「太宰の作品を読むと、彼がいかに聖書をよく読んでいたかがわかる。作品のテーマも、聖書からのものが多い。彼は、表面ではでたらめな生活をしたが、内面では懸命に聖書に問うた。彼自身の言葉で言えば『祈りたい、一生でただ一度でいいから、祈りたいと思っていました。しかし、自分のような者が祈れるのかと思うと祈れませんでした』とあるように、どこまでも、神の前に自分を隠そうとはしなかったのである。しかし、彼の神は、ヨハネの神、怒りの神である。この神の前には自殺しか残される道はなかったのである。もしも、彼がここでもう一歩進み、許しの神に出会っていたら、彼の文学は違っていただろうと述べている。

 神は罪に対して怒り裁く神であるとともに、その罪を許す神である。神は愛するひとり子をすべての人々の罪の身代りとして罪なきイエスを十字架につけて神の裁きを受けさせ、死に渡され、イエスを救い主として信じる者の罪を豊かに許され、罪と裁きから救ってくださる神である。

 罪の生活から180度方向を変えてイエスの元に立ち返り、イエス・キリストにある救いを受けようではありませんか。神は許しをもってあなたを迎え入れてくださる。主イエスにある平安と救いの恵みに与かる者となりましょう。


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2015-04-03 15:23:21 (694 ヒット)

  この季節の京都はあちらこちらで桜が咲き誇っています。私はこの時期に必ず訪れる場所があります。京都御所の北にある公家の近衛家の屋敷跡に咲く早咲きの糸桜を見るためです。今年も行ってきました。桜が綺麗に咲いていました。冬の間、枝が枯れているように見えていたのが暖かくなるにつれて芽がめぶき綺麗な花を枝いっぱいに咲かせていました。

 さて、教会では今年は4月5日が復活祭(イースター)です。

 イエス・キリストが私たちを救うために、私たちの身代わりとなって十字架に架かり死なれました。そして三日目に死からよみがえられたのです。息を吹き返したのではなく新しい栄光の身体として復活されたのです。キリストの復活によってキリストの私たちの身代わりとしての十字架の死が確かに神に受け入れられたことの印として、神はキリストを死から復活させられたのです。
イエスの復活は、十字架による罪の贖いが確かなものであることを教えています。またイエスの復活は、イエスが公に神の御子として示されたことを教えているのです。更に、イエスの復活は、イエスを信ずる者たちに大きな希望を与えてくれます。それは、イエスを信じる者は死んでもやがてよみがえることが約束されているのです。主イエスが再び来られる時、キリストにある死者は死からよみがえらさられ、主イエスとともに永遠に生きるのです。死からよみがえられたイエス以外に私たちを救うお方はいないのです。ぜひイエスを知ってください。


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2015-03-04 17:18:48 (671 ヒット)
メッセージ

  3月に入りました。暦のうえでは春ですが京都はまだまだ寒い日が続いています。京都の言い伝えに”比良八荒、荒れじまい”と言う言葉があります。「比良八講あれじまい」と言うのが正確です。琵琶湖の西岸、比良山中の八所神社で、法華八巻の講義問答をする法会が3月26日に行なわれます。これが八講です。この頃、一時的に冬型の天気になり、冷たい北西の季節風が吹き、琵琶湖周辺では秒速20mもの突風が吹くことがあり、京都では八講荒れじまいと言われるものです。(淡交社版京都歳時記参照)

 キリスト教の教会暦では3月の末頃に受難週があります。今年の場合では3月29日から4月4日までです。キリストが十字架にかかられ受難され三日目の日曜日に復活されました。その復活される前日までの一週間を受難週といいます。
 神の御子であられたイエス・キリストは私たちを救うために人となってこの世にお生まれになられました。イエスがこの世にお生まれになる前に御使いはヨセフに「その名はインマヌエルと呼ばれる」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である)(マタイ1:23)と告げておられます。イエス・キリストは私たちと共におられる神として、あなたと関わりを持つために来てくださったのです。
 イエス・キリストはあなたを支え、慰め、強め、救ってくださいます。あなたのインマヌエルなる神として来てくださったイエス・キリストを是非知ってください。そうして御一緒に主イエスの復活を祝おうではありませんか。


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2015-02-01 00:00:00 (685 ヒット)
メッセージ

  二月というと一番寒い時です。あちこちから梅の開花の知らせを聞くと寒い中にあって春の到来をかすかに感じられます。俳人嵐雪の句に「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という句がありますように暖かい春が待ち遠しい今日このごろです。俳句大歳時記によると梅を意味する季語に好文木(こうぶんぼく)、花の兄(はなのえ)、春告草、匂草、風待草、初名草などの季語があります。寒い時を通して暖かい春の到来の喜びが増すのではないでしょうか。

 主イエスは「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ一章十五節)と語っています。この言葉は当時の人々ばかりではなく今日の私たちに対して語られた言葉でもあるのです。神の定められた時が満ち近くなりつつあるのです。

 イエス・キリストの到来によって人々の救いの道が開かれイエス・キリストを救い主として信ずる者に約束された神の国の民とされる恵みが豊かに与えられるのです。それを神の国は近くなったと言われたのです。やがて神の国の入口が閉ざされる時が来ます。今が救いの時であり救いの日なのです。この時を逃すことなく、イエス・キリストの救いに与るものとなりましょう。予備校の先生ではありませんが、「今でしょう!」。


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2015-01-01 20:05:12 (598 ヒット)
メッセージ

  月日の過ぎるのは早いですね。早、2015年を迎えました。新しい年を迎え、この一年の計画を色々建てておられることでしょう。新たな年、期待と希望を持って一歩一歩確実に前進していきましょう。

 聖書に「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」(第二コリント人への手紙5章17節)と記されています。ここで言われている新しいという言葉の意味は時間的な新しさではなく、質的な新しさを意味しています。イエス・キリストを信ずることによって神の働きによって新しい者とされるのです。神の前に罪人として、神の裁きにより永遠の滅びに定まっていたものが、イエス・キリストの贖いの御業によって罪ゆるされ、新たに生まれた者とされるのです。この手紙を記したパウロはイエス・キリストの救いのすばらしさに感動して「見よ、すべてが新しくなったのである」と記しています。罪の中にどうしようもない生活を送っていた者が、イエス・キリストの十字架による贖いによって救われ、新たな者として神のもとに生まれさせられるのです。以前の者ではなく、新たな者として造られるのです。そして新たな人生が始まるのです。イエス・キリストにあって新たな者として造られ、新たな歩みを始めてみませんか。
多くの人々がイエスにあって新たにされ、有意義な人生を送る者とされています。無益な者から有益な者に変えられるのです。イエス・キリストとはどのようなお方であるかを聞いてみませんか。

 新たな年を迎えるにあたり、主なる神の豊かな祝福と御守りがありますようにお祈りします。


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