投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2018-01-13 17:23:41 (327 ヒット)
メッセージ

  私は地図を見ることが好きです。テレビや新聞で場所の知らない地名を聞いたり、読んだりした時、地図で場所を確認する事があります。

 
 ところで、あなたの人生において、人生を正しく導く地図や羅針盤を持っているでしょうか?
 
 私にはあります。それは聖書です。聖書に「あなたのみことばは、私の足の灯火であり、進むべき道を照らす光なのです。時には私たちにとって羅針盤であったり、地図であったりするのです。
 もし間違った方向に行ったりして、迷ったり、危険なことに出会ったりしたら大変です。大切な人生において有意義な人生を送る者となりませんか。
 自分の欲望や罪によって大切な人生を誤ってしまい、後悔の多い人生を送ることがないようにしませんか。神の言葉である聖書から歩むべき道、進むべき道を知り、その道を歩むものとなりませんか。共に聖書を読み、学んでみませんか。


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2017-04-05 22:46:34 (383 ヒット)

 京都新聞に聖泉大准教授の脇本忍氏が投稿された原稿に心理学上の実験のつり橋効果について述べられていた。それは心理学での有名な実験のようである。

 

 その一部を紹介すると「カナダのカピラ橋は、地上70メートルのつり橋です。その高さと揺れは、高所恐怖症でなくてもドキドキさせます。心理学者のダットンとアロンは、橋の中央で待機する女子学生が、橋をひとりで渡ってくる男性に狙いを定めて、心理学実験の依頼を装い、連絡先電話番号を書いたメモを渡す実験を実施しました。つぎに、近くにある木製の固定橋の上でも同じことをしました。その後、つり橋と固定橋とで電話をしてくる人数を集計したところ、固定橋では13%、つり橋だと50%が電話をかけてきました。この結果から、男性は、高さや揺れて発生した心拍の増加を女子学生への一目ぼれだと勘違いし、恋が生まれたと解釈しています。」と述べられている。心理学とは興味のある学問だと思う。
 
 イエス・キリストは人に対する洞察力の優れたお方のようである。
 
 新約聖書ヨハネの福音書4章の中に、イエスがガリラヤへ行かれる途中にサマリヤのスカルという町を通られた時のことが記されている。その町にあったヤコブの井戸でイエスは旅の疲れを覚えて、井戸のかたわらに腰を下ろしておられた。そこに一人のサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませて下さい。」と言われた。弟子たちは食物を買いに町へ行っており、イエスはただひとりであった。サマリヤの女は「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」とイエスに問うている。当時ユダヤ人はサマリヤ人と付き合いをしていなかったからであるとヨハネは記している。
 イエスは答えて「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくという者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
 イエスはここで生ける水の話を通してサマリヤの女を救いに導かれたのである。だれも来ない時間に人の目を避けて水をくみに来た女にいのちの水の話を通して、この女の今までの生活を指摘し救いへ導かれたのである。イエスはここで「この水を飲むものはだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」と言われた。
 
 私たちもこの世から与えられる物では再び渇きを覚えてしまう。しかしイエス・キリストが与えてくださる水はその人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出るのである。イエス・キリストを救い主と信じて魂が渇くことのない永遠の命の水を得ようではありませんか。


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2017-01-01 00:00:00 (470 ヒット)

 新しい年をいろいろな計画やビジョンを持って迎えられたことと思います。

 過ぎた過去を振り向く時、いかがでしょうか。失敗したことや、自分自身の欠点や弱点など色々悩んだり苦しんだことはなかったでしょうか。そのまま新しい年を迎えても自分自身にとって同じ事のくりかえしが続くのではないでしょうか。そのため不安になったり、憂鬱になってしまっていないでしょうか。私たちは自分自身を変えることはなかなか難しく困難です。聖書は次のように語っています。
 「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古い者は過ぎ去った。見よ。すべてが新しくなったのである」(2コリント5章17節)。
 「キリストにある」とは、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れる者です。
 その者は主イエスにあって新しく生まれた者とされ、神の創造的宣言によって、霊的に変えられるのです。イエス・キリストにあって新しい人生、新しい歩みをすることができるのです。私たちは自分の努力や修行によってではなく、神の一方的憐れみと恵みによって、ただ信じることによってのみ新しく生まれ変えられて新しい者とされるのです。
 あなたもイエス・キリストにあって新しく生まれ変えられ、新しく歩みをする者となりませんか?
 


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2016-12-04 18:48:45 (452 ヒット)

 イエス・キリストは突然この世にお生まれになったわけではない。神の御計画に基づいてこの世にお生まれになったのである。聖書は次のように記している。
 「しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生まれさせ、律法の下に生まれさせて、おつかわしになった。それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。」(ガラテヤ人へ手紙四章四〜五節)
 御子が生まれるのは、約2000年前のイスラエルでなければならなかったのか?あるいは、もっと後に、どこの国でもよかったのではないか。しかし聖書は「時の満ちるに及んで、神は御子を女から生まれさせ」と記している。あの日、あの時、イスラエルの国のベツレヘムの町で御子はお生まれにならねばならなかったのである。神は、世界のすべての人を救うために、三つの民族をお用いになられたのである。
 
 その一つはイスラエル民族である。
 天地の創造者である神は、ご自分の作られた全世界の人に、永遠の祝福を贈ろうとされて、今から約四千年前に、イスラエル民族をお選びになって、彼らを「祝福の基」とされた。(創世記十二章二、三節)信仰の人アブラハムの末がイスラエル民族である。神の選びによってイスラエル民族が選ばれ、その家系からイエス・キリストがお生まれになったのである。イスラエル民族は世界中のどの民族と比べても、伝統を固守するということにおいて、断然頑固であった。実はその特性が、「祝福の基」としての使命を失う原因にもなったのだが、神は、イスラエル民族をお用いになられたのである。イスラエルは、紀元前五八七年にバビロンに滅ぼされて亡国となった。なんとかしてエルサレムに神殿を再建したが、期限七〇年にローマによって滅ばされてしまい、一九四八年に独立国として国連に認められるまで実に約二五〇〇年間も離散の民としてイスラエルの民は全世界に散らばっていたのである。しかし、彼らは伝統を固守して、どこへ移り住んでも、会堂を建てて、彼らの思考を守り続けたのであった。この会堂が、キリスト弟子たち伝道の拠点となって世界中にキリスト教が急速に拡大していったのである。もしユダヤ教徒の会堂がなかったならばキリスト教は急速に拡大していくことはできなかったのである。
 
 その二はギリシャ民族である。
 紀元前四世紀の地中海をめぐる世界の支配者は、ギリシャであった。アレキサンドロス大王が当時の世界を征服したのであったが、彼は軍事力だけではなく、ギリシャ文明を世界に広げ、中でも、ギリシャ語を普及させた。歴史上の最初の世界共通語が生まれたのである。このギリシャ語によってキリスト教の福音は全世界に広まり、ギリシャ語で新約聖書は書かれたのである。この点で神はギリシャ民族をお用いにいなったのである。
 
 その三はローマ民族である。
 ギリシャに続く世界の征服者は、ローマ人であった。ローマ帝国は比較的長く世界の支配者であった。その強力な軍事力によって世界を支配し、道路網を発達整備して”すべての道はローマに続く”と言われるまでになっていた。この交通網とローマの治安によってキリスト教の福音は広く多くの人や国々に伝えられていったのである。
 以上の伝道の拠点としての会堂、世界共通語、治安と交通の三拍子がそろって、初めて神の祝福のメッセージが全世界に届けられたのである。キリストの誕生はそれ以前でも以後でも、ふさわしくなかった。実に、「時の満ちるに及んで、神は御子を女から生まれさせ」られたのである。この神のタイミングは完璧である。クリスマスは、「時の満ちる日」である。
 


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2016-03-13 19:08:58 (823 ヒット)

 ある小雑誌に「畑の土がいいと、野菜がまずくなる」と記されていました。その本によると最近の野菜の味や香り、栄養素までもが、年ごとに低下していると述べられていました。
 (「頭にやさしい雑学の本」より 三笠書房)
 
 その理由が、実は畑の土地が良すぎるからだ、というのです。植物には、それぞれ原産地があり、たとえばホウレンソウはペルシャが原産と言われ、半砂漠化したような荒れた大地こそが、ホウレンソウの味わいを育てるというのです。トマトの場合も、南米はアンデスの荒れ野が原産地であるから、決して、肥沃な土地で生まれたわけではない。ところが今の日本の科学的・化学的な農法は、栄養も水もたっぷり与え、虫害や雑草、冷害などから徹底して保護する。世界で最も過保護だといえるとのこと。その結果、甘やかされて与えられることにも慣れきってしまった野菜が、自分で土中の栄養分を吸い上げる能力や、水を求めて根を伸ばす努力を忘れ、次第に力のない植物に変わっていったと記されていました。
 そこで、あえて厳しい農法で育て、野菜本来の味と香り、含まれるべき栄養素までも取り戻そうという「緑健農法」が行わているというのです。この農法は原産地の環境を実現して、肥料は通常の十分の一、水は三十分の一しか与えないという厳しいもので、肥料と水を最小限に抑えると、ギリギリの状態で何とか大きく育とうとして野菜自身が頑張り、本来の力がよみがえってくるというのです。その本の終わりには、野菜にもハングリー精神が大切。甘やかされず、根性を鍛えられた野菜こそおいしいのですとありました。
 
 この事は人間にも必要なことではないでしょうか。
 聖書の中に次のように記されています。「『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」(へブル12章5節〜7節) 
 神は父として信じて従う者たちをいろいろなことを通して懲らしめ訓練されるのです。試練や懲らしめは父なる神からの愛のむちなのです。それによって強い、忍耐強い訓練された者になれるのです。
 私たちの人生にいろいろな事が起きます。悩んだり苦しんだりすることがあります。それに対して神は耐える訓練された者としてくださるのです。ここにも神の豊かな愛と配慮があるのです。主にあって訓練された者としていただこうではありませんか。
 


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